東京高等裁判所 平成6年(行ケ)263号 判決 1995年12月21日
東京都大田区中馬込1丁目3番6号
原告
株式会社リコー
同代表者代表取締役
浜田広
同訴訟代理人弁理士
関口鶴彦
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
清川佑二
同指定代理人
中田とし子
同
松本悟
同
市川信郷
同
吉野日出夫
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
(1) 特許庁が昭和63年審判第1846号事件について平成6年9月12日にした審決を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和55年4月17日、特許庁に対し、名称を「感熱記録材料」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和55年特許願第49620号)をしたが、昭和62年12月4日、拒絶査定を受けたので、昭和63年2月18日、審判を請求したところ、特許庁は、この請求を昭和63年審判第1846号事件として審理するとともに、平成4年11月16日、特許出願公告(平成4年特許出願公告第71716号)を行ったが、訴外三菱製紙株式会社から特許異議の申立てがなされた。その結果、特許庁は、平成6年9月12日、特許異議の申立ては理由がある旨の決定とともに、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年10月26日、原告に対し送達された。
2 本願発明の要旨
通常無色又はやや淡色のロイコ体と、該ロイコ体と熱時反応して発色せしめる酸性物質とを発色成分として含有する感熱発色層と、水溶性高分子化合物を主成分とする被覆層とを支持体上に順次設けた感熱記録材料において、前記被覆層中に、更に疎水性高分子樹脂又は水溶性高分子化合物中の親水基と架橋することにより耐水化する耐水化剤を含有し、かつ、各々の含有量は、被覆層全固形分に対して、疎水性高分子樹脂が10~50重量%、耐水化剤が水溶性高分子化合物に対して5~50重量%であることを特徴とする感熱記録材料
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は前項に記載のとおりである。
(2) これに対し、本件出願日前である昭和55年3月26日に同一出願人により出願された昭和55年実用新案登録願第38727号(昭和59年実用新案出願公告第9909号公報参照、以下「引用例」という。)の考案の要旨は、実用新案登録請求の範囲に記載された次のとおりのものと認められる。
「支持体の裏面には感圧接着層を介して剥離紙を貼付し、同支持体の表面には無色又は淡色のロイコ染料と酸性物質とを発色成分として含有する感熱発色層及び水溶性高分子物質と該高分子物質自体と縮合あるいは架橋反応の如き反応をして前記水溶性高分子物質を耐水化せしめる耐水化剤とからなる障壁層を順次設けたことを特徴とする感熱記録剥離ラベル」(別紙図面参照)
(3) 本願発明と引用例記載の考案とを対比すると、引用例記載の考案における「障壁層」、「水溶性高分子物質と該高分子物質自体と縮合あるいは架橋反応の如き反応をして前記水溶性高分子物質を耐水化せしめる耐水化剤」は、本願発明の「被覆層」、「水溶性高分子化合物中の親水基と架橋することにより耐水化する耐水化剤」にそれぞれ相当するから、両者は、「通常無色又はやや淡色のロイコ体と、該ロイコ体と熱時反応して発色せしめる酸性物質とを発色成分として含有する感熱発色層と、水溶性高分子化合物を主成分とする被覆層とを支持体上に順次設けた感熱記録材料において、前記被覆層中に、更に水溶性高分子化合物中の親水基と架橋することにより耐水化する耐水化剤を含有せしめた記録体」である点で一致し、また、引用例記載の考案における耐水化剤の添加量も、水溶性高分子物質に対して20~100%(引用例についての出願公告公報3欄29行ないし31行参照)とされているのであるから、耐水化剤の使用量においても一致している。
他方、両者は、記録体について、引用例記載の考案では、支持体の裏面に感圧接着層を介して剥離紙を貼付した感熱記録剥離ラベルとしているのに対し、本願発明では感熱記録材料としている点において相違する。
(4) 上記の相違点について検討するに、本願発明が、商品を包装したポリ塩化ビニルのラップフィルム等の上又は下に貼付されて使用される、商品等の表示ラベルとして使用しえる感熱記録材料を提供することを一目的としていることは、本願明細書中の記載(3頁1行ないし5頁15行)から明らかであり、また、貼付使用される表示ラベルの構造として、支持体の裏面に感圧接着層を介して剥離紙を設ける構造は周知のものである。
したがって、本願発明の感熱記録材料は、その一実施態様として、支持体の裏面に感圧接着層を介して剥離紙を貼付した感熱記録剥離ラベルを包含するものであり、一方、引用例記載の考案は、前記のとおり、支持体の裏面に感圧接着層を介して剥離紙を貼付した感熱記録剥離ラベルである。
そうすると、本願発明は、引用例記載の考案を包含することが明らかである。
(5) 以上によれば、本願発明は、引用例記載の考案と同一のものというべきであり、かつ、引用例記載の考案の後願に相当するものであるから、特許法39条3項の規定により特許を受けることはできない。
4 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)及び(2)は認める。
同(3)のうち、本願発明と引用例記載の考案が耐水化剤の使用量において一致することは認めるが、その余は争う。
同(4)のうち、本願発明の感熱記録材料がその一実施態様としての感熱記録剥離ラベルを包含すること及び本願発明が引用例記載の考案を包含することは争い、その余は認める。
同(5)は争う。
審決は、本願発明と引用例記載の考案におけるそれぞれの層構造の違い及び目的物(技術課題)の違いを看過し、それらが一致するものと誤認した結果、両者を同一のものであると判断した点において違法であるから、取り消されるべきである。
(1) 審決は、本願発明と引用例記載の考案とが「記録体」として構造が一致するとしたが、「記録体」なる語は本願明細書にも引用例にも用いられていないものであるのみならず、本願発明は、被覆層、感熱発色層、支持体の3層の構造を有する感熱記録材料であるのに対し、引用例記載の考案は、障壁層、感熱発色層、支持体、感圧接着層、剥離紙の5層の構造を有する感熱記録剥離ラベルであって、両者の、3層と5層による層構造上の差異は明確である。
したがって、審決が、上記の層構造上の相違点を看過して、両者を同一のものであるとしたことは違法である。
(2) 本願発明は、感熱記録材料という、多くの用途を有し、汎用性のある積層体についての「材料発明」であるのに対し、引用例記載の考案は、剥離ラベルという、構成、形状が限定された一つの「用途発明」である。そして、本願発明及び引用例記載の考案において、その目的物をそれぞれ感熱記録材料及び剥離ラベルとすることは、各特許請求の範囲及び実用新案登録請求の範囲に明記されているところであり、また、それらは、別個の商品として流通可能なものである。
したがって、両者は、目的物(技術課題)を明確に異にするものであり、これを同一のものと判断した審決は違法である。
(3) なお、被告は、「本願明細書中においても、昭和55年実用新案登録願第22304号(感熱記録用剥離ラベルの考案)を引用した際、これを「感熱記録材料」と称している。」と主張するが、原告は、本出願にあたり、関連する先行技術として、上記の昭和55年実用新案登録願第22304号を明細書中に開示したものにすぎず、これを「感熱記録材料」と称した事実はない。
(4) また、被告の主張するように、本願明細書中において、ある用途が応用技術として記載されていたとしても、これをもって、本願発明を、それの上位概念で表現されるべき発明であるとすることはできない。
第3 請求の原因の認否及び被告の反論
1 請求の原因1ないし3の各事実は認める。
同4は争う。
本件審決の認定、判断は正当であり、本件審決に原告主張の違法はない。
2 取消事由についての被告の反論
(1) 取消事由(1)について
本願発明の感熱記録材料は、その特許請求の範囲に記載されたとおり、感熱発色層と被覆層とを支持体上に順次設けたものであるが、この3層に限定されるというものではないから、層構造において、引用例記載の考案の感熱記録剥離ラベルと相違があるとはいえない。
なお、審決における「記録体」とは「感熱記録材料」の意味である。
(2) 取消事由(2)について
引用例記載の考案は、感熱記録材料としての構成(障壁層、感熱発色層、支持体)に、剥離ラベルにおける慣用の構成(感圧接着層、剥離紙)が付加されたものであり、感熱記録材料としての構成を有するものであるから、それを感熱記録材料と称することに何らの誤りもない。本願明細書中においても、昭和55年実用新案登録願第22304号(感熱記録用剥離ラベルの考案)を引用した際、これを「感熱記録材料」と称している。したがって、本願発明と引用例記載の考案の目的物は感熱記録材料であるという点で差異がないというべきである。
また、本願明細書の記載からみるならば、本願発明の目的は、「可塑剤を含んだ樹脂フィルム等と印字部を接触させても消色することのない感熱記録材料を提供すること」にあり、その目的とされる感熱記録材料は、「樹脂フィルムと接触させて使用される」表示ラベル等である。このように、本願明細書においては、表示ラベルという用途は、感熱記録材料の応用技術として記載されているのではなく、感熱記録材料の一つとして例示されており、更に、本願発明の感熱記録材料は、その目的からみて、表示ラベルを包含する上位概念の発明として記載されていることが明らかである。
以上のとおりであるから、引用例記載の考案の感熱記録用剥離ラベルは感熱記録材料の一種であり、また、本願発明と引用例記載の考案は、いずれも用途発明であって、「上位概念で表現された発明」と「下位概念で表現された発明」との関係にあるが、原告主張のような「材料発明」と「用途発明」の関係にはなく、目的物が相違しているとはいえない。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第1 請求の原因1ないし3の各事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨、審決の理由の要点)については当事者間に争いがない。
また、引用例記載の考案の要旨が審決記載のとおりであること、本願発明と引用例記載の考案が耐水化剤の使用量において一致すること、本願発明が、商品等の表示ラベルとして使用しえる感熱記録材料を提供することを一目的とすること、貼付使用される表示ラベルの支持体の裏面に、感圧接着層を介して剥離紙を設ける構造が周知のものであることについても当事者間に争いがない。
第2 本願発明の概要について
成立に争いのない甲第2号証(本願発明についての平成4年特許出願公告第71716号公報)及び甲第3号証(本願発明についての平成5年9月28日付け手続補正書)によれば、本願発明の概要は以下のとおりである。
本願発明は、感熱記録材料、特に、通常無色又はやや淡色のロイコ体と酸性物質とを発色成分として用いた感熱記録材料の改良に関するものである(同公報1欄14行ないし16行)。
近年、紙、プラスチックフィルム又は金属蒸着紙等の支持体の上に、熱エネルギーによって化学的又は物理的変化を起こして記録像を発色させる感熱発色層を設けた感熱記録材料が、各種情報機器及び計測機において広く用いられている(同1欄17行ないし2欄8行)。
これらの感熱記録材料のうち、通常無色又はやや淡色のロイコ体と、熱時にロイコ体と反応してこれを発色させる酸性物質とを発色成分として、これらを感熱発色層に含有させた感熱記録材料は、記録画像の発色濃度が高く鮮明であることから、特に有用な記録材料として用いられている。
更に、最近は、上記のロイコ体と酸性物質とを用いた感熱記録材料の利点を利用して、例えば、定期券等のような自動発券機用の巻紙、POSシステムにおけるバーコード紙、商品等の表示ラベル等への応用も検討されているが、未だ満足のいく結果が得られていない。
例えば、上記の巻紙の場合には、感熱ラインプリンターで印字後、透明ビニール製あるいは透明ビニールの窓を有した定期入れに入れられたり、また、バーコード紙や表示ラベルの場合には、ラベルプリンターで印字された後、商品を包装したポリ塩化ビニルのラップフィルム等の上又は下に貼付され、重ねておくというように、いずれも、感熱層に印字後、発色画像を樹脂フィルムと接触させて使用される。しかしながら、このような樹脂フィルムの中には、可撓性を良くするために可塑剤が用いられており、これらの可塑剤が、印字された巻紙、バーコード紙、ラベル等の印字部に作用して、接触後1ないし10時間以内に印字部を消色させてしまうという不都合を生ぜしめる(同2欄9行ないし3欄24行)。
そこで、出願人は、この点を解決するため、感熱発色層上に、可塑剤の浸透を防止する水溶性高分子化合物の被覆層を設け、耐消色性を向上した感熱記録材料を既に開発し、これを昭和55年実用新案登録願第22304号において開示した(同3欄25行ないし同欄29行)。
しかしながら、この被覆層は、水溶性高分子化合物によるものであるため、種々の問題を生じた。例えば、バーコード紙やラベル等は、商品をポリ塩化ビニルのラップフィルムで包装後、そのラップフィルムの上又は下に貼付されるが、実際にはこれらの作業は水に濡れた手、あるいは湿気の多い雰囲気下でなされるため、水で濡れた部分の被覆層が剥げ、その剥げた部分の可塑剤に対する耐消色性が劣化するに及んだ。
そこで、出願人は、このような欠点を改善するため、被覆層中に、更に疎水性高分子樹脂又は耐水化剤を含有させることにより、前記の欠点を解決できることを発見し、本願発明をなすに至った。
したがって、本願発明の目的は、可塑剤を含んだ樹脂フィルム等を印字部に接触させても消色することのない感熱記録材料を提供することにあり、更には、高温、高湿下での使用に際して、印字部を消色することなく長期に渡って鮮明な記録を保持しえる感熱記録材料を提供することにある(同3欄30行ないし4欄9行)。
本願発明の感熱記録材料は、感熱発色層に耐消色性及び耐水性の被覆層を設けてあるため、発色記録像を長時間に渡って鮮明に維持できることは、本願発明の実施例1ないし4と、比較例1ないし5を対比した表1及び表2から判る(同9欄10行ないし10欄末行、前記手続補正書5頁5行ないし末行)。
第3 審決取消事由について
そこで、原告主張の審決取消事由について判断する。
1 本願発明と引用例記載の考案における層構造の違いについて
(1) 前記のとおり当事者間に争いのない本願発明の要旨及び引用例記載の考案の要旨によると、その要旨に明記された構成は、本願発明が、被覆層、感熱発色層、支持体の3層の構造の感熱記録材料であるのに対し、引用例記載の考案は、障壁層、感熱発色層、支持体、感圧接着層、剥離紙の5層の構造の感熱記録剥離ラベルとされていることが認められる。
(2)ア しかしながら、前出甲第2、第3号証、成立に争いのない甲第4号証(引用例記載の考案についての昭和59年実用新案出願公告第9909号公報)に基づき、本願発明の要旨と引用例記載の考案の要旨とを対比するならば、両者は、「審決の理由の要点」(3)のとおり、「通常無色又はやや淡色のロイコ体と、該ロイコ体と熱時反応して発色せしめる酸性物質とを発色成分として含有する感熱発色層と、水溶性高分子化合物を主成分とする被覆層とを支持体上に順次設けた感熱記録材料において、前記被覆層中に、更に水溶性高分子化合物中の親水基と架橋することにより耐水化する耐水化剤を含有せしめた記録体」(なお、審決中における「記録体」の語句が感熱記録材料を意味することは、その記載からみて明らかである。)である点において一致することが認められ、また、両者が耐水化剤の使用量においても一致することは、前記第1のとおり当事者間に争いがない。
そうすると、本願発明と引用例記載の考案とは、同考案における感圧接着層及び剥離紙を除いた3層部分において、明らかに一致するものというべきである。
イ 更に、本願発明における目的の一つが、商品等の表示ラベルとしても使用しえる感熱記録材料の提供の点にあることについても、前記第1のとおり当事者間に争いがなく、なお、本願発明の目的、課題の具体的内容及び作用効果については、前記第2「本願発明の概要について」に記載のとおりであって、本願発明は、表示ラベル、バーコード紙等への使用をその用途とする感熱記録材料の改良に係るものである。
一方、引用例記載の考案は、前記のとおり、感熱記録剥離ラベルであるが、前出甲第4号証によると、「剥離ラベル」が「商品にその容量、価格、品質等を表示するための商品ラベル」等に「広く用いられている」(1欄末行ないし2欄3行)ものであることは明らかである。
そうすると、本願発明は、その用途の一部において引用例記載の考案と一致し、引用例記載の考案の用途を含むものといわざるをえない。
ウ そして、貼付により使用される表示ラベルの構造として、支持体の裏面に感圧接着層を介して剥離層を設けることが周知の技術であることは、前記第1のとおり当事者間に争いのないところであり、このことに、前記イの事実をも考慮するならば、本願発明では、これを商品等の表示ラベルとして用いる場合においては、支持体の裏面に感圧接着層を介して剥離紙を設ける構成を採ることになるから、引用例記載の考案とその構成を同じくすることが明らかである。
(3) 以上の事実からみるならば、本願発明と引用例記載の考案との間における層構造の違いは、単なる慣用手段の付加であって、単なる構成の変更にすぎず、両者間の同一性を否定すべき理由となるものではないというべきであり、この点についての原告の主張は失当といわざるをえない。
2 本願発明と引用例記載の考案が目的物を異にすることについて
前記1において検討したところによると、本願発明と引用例記載の考案は、構造の点から両者が相違するものとすることはできない上、本願発明は、引用例記載の考案の用途を含むものとして発明された関係にあることからみるならば、両者が「材料発明」「用途発明」の関係に立ち、目的物を異にするものとすることもできない。
したがって、上記の点についての原告の主張も失当である。
3 以上によれば、本願発明と引用例記載の考案とが同一のものであるとした審決の認定に誤りはなく、審決には原告主張の違法はないものというべきである。
第4 よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 関野杜滋子 裁判官 持本健司)
別紙図面
<省略>
第1図は本考案の感熱記録用剥離ラベルの層構成を示す説明図、第2図は本考案の感熱記録用剥離ラベルの一実施形態である。
1……支持体、2……感圧接着層、3……剥離紙、4……剥離層、5……台紙、6……感熱発色層、7……障壁層、8……芯管、9……剥離部分。